九州大学仏教青年会

九州大学仏教青年会法律相談部法律相談会の思い出(1)

平成20年8月11日

私は何十年(!)も昔、大学生だったころ九州大学仏教青年会というところに所属していました.
短期間(1年ほど)だったのですが、色々な事を経験しなにより、その時の人間関係は現在も私の貴重な財産として心温まる財産になっています。しかし、延々と、地道に続く仏教青年会の後輩たちの活動をよそに私はこれまでほとんど「先輩」らしい、関与をしてきませんでした。ところが、昨年九州大学仏教青年会百年の歴史を記念して、「百年祭」を企画・実施することになったころから里心がついてきたのかおせっかいをするようになりました。百年祭は、有名な脳学者の茂木健一郎氏を招いて彼以上に有名な仏教青年会の先輩の医学研究者の先生方にお願いして、討論会がありました。立ち見の出る程の盛況でした.
百年祭の他に記念文集を発行する事になっていますが、私達、卒業生も寄稿する事になりましたが、私も、法律相談関係の活動について寄稿したいと思います。そして、その一部をブログ上に開陳して、九州大学仏教青年会の活動や法律相談会の実際を広く知って頂きたいと思ってブログで披露したいと、思い立ちました。これから、思い出文をお書き致しますので、何か、ご感想がございましたら、コメントをお願い致します。

九州大学仏教青年会法律相談会の思い出(2)

平成20年8月12日

私が仏青会館(仏教青年会館)に移りすんで、法律相談部の活動に参加したのは、もう、40年近い昔のことである。当時の仏青会館は、100mほど北にいくと、九州電力のグランドがあり、さらに200mほど北に行くと博多湾の波打ちぎわ(といっても、防波堤がエンエンと続くその一辺のあたり)に、ぶつかる、まだ、潮の香残る場所にあった。
路線バスも国道三号線まで出ないと乗れなかった…。
乗れなかったか、乗れたとしても、つまり、会館のそばにバス停があっても、一日中バスを待っても、なかなか来ないような所だったと記憶している。
新興住宅地の開発がようやく進みはじめた時だったので、人口も今のにぎやかな名島地区など想像もつかないほど閑散としていた。それでも週に1度定期的に開催していた法律相談会には時折、近所の方が神妙な顔をして相談に見えることがあった。

九州大学仏教青年会法律相談会の思い出(3)

平成20年8月14日

法律相談部の活動「九州大学仏教青年会法律相談部による無料法律相談会は毎週○曜日午後○時より福岡市東区… … 九州大学仏教青年会… … で開かれます……どなたでも相談を … … 受ける事ができます。」 … …
こういった趣旨の放送が良く、NHKラジオの第一放送で流されたものである。
勿論、仕掛け人、つまり、放送局に宣伝を依頼にいったのは、我々なのだが、 … … 。
そのせいか、当初は、地元の人達だけだったのが、交通の便に恵まれていない割りには、比較的遠方からもお出でになられる相談者もおられたと記憶しています。
何人ぐらいの相談者があったかは正確には覚えておりません。
週に1人としても、月に4人 … … 、仏青会館以外に出張相談にいく場合は、別ですが、年内で40~50人は依頼者があったと思います。
当時は、無料法律相談は、福岡弁護士会が定期的にやっておられたぐらいで、他の法律家団体はやっておられませんでしたので、われわれ学生のヨチヨチ歩き相談でも結構よろこばれたと思います。
印象に残っている相談を2つあげます。1つは、20代後半の女性のご相談者でした。
とても、きれいな方だったと記憶しています。歯ならびの矯正の為にある歯科医の門をたたいたところ、治療途中の何かのミスで歯ぐきが全部ダメになり、総入れ歯になったとのことでした(当時は今の様にインプラントはありませんでしたから)。相談しながら大粒の涙をこぼして慟哭されるので困りました。
今思えば、少し話に不自然なところもありましたが、当時は、法学部学生全員(全員男です) いたく、同情して、調べ物をしたりしましたが、現職の弁護士さんのところに行くようにおすすめしたことでした。
その後、どうなったかわかりません。その弁護士さんにおたずねしても「ああ、あの件ね … … 」です。
守秘義務がありますから、たとえ紹介者に対しても中味はいえないのでしょう。
今は、そのお気持ちよくわかります。この美人の総入れ歯と弁護士さんの守秘義務の固さとが強い余韻として記憶の中に残っています。

九州大学仏教青年会法律相談会の思い出(4)

平成20年8月18日

第2番目に印象に残っている相談はある老婦人の財産についてのそれでした。
相談の内容は、死んだ夫からの遺産を自分名義にしないで一人息子の結婚を契機に息子名義に変えたのだそうです。
ところが、その息子さんは、大変な恐妻家で自分名義の財産(つまり母親(相談にきた老婦人)経由でもらった亡き父親からの相続財産)の半分を妻の名義に変えてしまいました。
そうしますと、同居している嫁としゅうとめの間で嫁はその家に住む権利はあるが(しゅうとめにはありません。それで、嫁がカサにきてチクチクと義理の母親にいじめをするとのことです。
なんとか、息子の妻の持ち分を取り戻せないか、という趣旨のものでした。
上品なおばあさんでしたが、話をしているうちについつい感情が高ぶってくるのか、時おり涙声になるのです。
戦後まだ20数年たった頃で、旧民法の考えの親の世代と新民法のそれの子供の世代との考えの違いが最も大きい頃でした。
相談者は、義理の親を大事にしない嫁を非難し、その言いなりになる息子を「情けない、こんな子供ではなかった、結婚するまでは、親孝行だったのに … … 」と、頻りになじるのです。
当時、20歳過ぎたばかりの我々に慰めの言葉などあるはずがありません。言葉が出ないのです。
「法律相談は、年齢相談でもあるなー」とつくづく思いました。
年齢を経ることにより、色々と経験を積む事が必要なのだ、と素朴に思いました。